あっ!この社長合わないなと初めて僕が理解した日のできごと
田口 淳之介
最新記事 by 田口 淳之介 (全て見る)
- 名古屋は熱い街!『働き方改革に必須!!?『対話』する力を身につける』セミナーやりましたよ〜 - 2019年1月18日
- お客様、スタッフ、関係者『みんなに応援される』経営者になる! - 2018年12月31日
- 美容院経営者のお悩み『先輩が若手の指導をしない』問題解決法! - 2018年12月29日
読了時間 約 3 分です。
ありのままの自分でマネジメントすれば経営が変わる!
家族で経営していく。ということの地獄絵図を見せていく記事です。
目的は、同じような環境の読者の方が苦しみを回避できるようにするためです。
今がどれだけ辛くても、いつかは家族が仲良くなるかもしれません。
ならないかもしれないけど。。。
あれは僕が始めて会社をやめようと、tomoe社長に話しにいった日のこと
もう十年以上前のコトです。
この当時は、社長であっても義母ではありません。(ケド、ここから違う→合わない。がスタートしたので記事にします)
それは立派な社長でした。
というかすご〜く勢いがあって、キラキラしていて、それでいてすんごく恐かった社長です。
僕は当時 21歳。
仕事じたいはすごく楽しいけど、社内にマネジメントがなく、それに頭にきて、悔しくて。。。
「もう辞めるしか無い」と、勝手に自分を追い込んでいました。
もちろん、その当時「マネジメントがどうのこうの」とは思っていません。
多分、マネジメントって言葉も知らなかった。。。
せいぜ、スラムダンクで言う宮城のようなポジション(ポイントガード)がいないから、ココはだめなんだぁ〜!くらいの認識です。
(その後、業界でマネジメントが行き渡ってるようなSalonを殆どみていないので、とんだ僕の勘違いなのですが。。。今思うとね)
で、忘れもしない。
あの日の営業後。
社長宅で僕はこう言い放ちました!
「ココに居たら、素敵な僕が素敵じゃなくなっちゃうから辞めたい」と。
要は、ココでは僕を活かしきれないだろ?みたいなノリで話してました。
え〜 ちなみに、当時の僕の仕事内容は「シャンプー&マッサージ」
死ぬほど真剣にやってたけど、まぁ「ナメた口」いがいの何者でもないですね。
ということで、社長の口も( ゚д゚)
お口をあんぐり開けて、僕を見てきました。
そして、社長は聞いてくれました。
「どうしてそう思うの?」と。まぁまぁキレた顔で。
僕はいくつか理由を伝えます。
そして、そこで出しました。
インディアンかなんかの教えが書いてある本。
確か、加藤 諦三 さんという作家さんの本だったと思います。
「コレ読んで、考えてみました」的な感じで。
すると〜〜〜〜!!!!
それを急に投げ捨てて、
「こんなもん読んでるからイカンのじゃぁ〜!(イカンは名古屋弁ね)
お前コレ読め!コレ!」
と言ってきて、出してきたのが
雀鬼流。―桜井章一の極意と心得
僕は投げ捨てられた自分の本を目で追いかけていました。
スローモーションで飛んでいく僕の本。
目の前に置かれた麻雀の人の本。
そして「勝負しろ!勝負!! すごいぞ〜この人は!!」
と熱弁をふるう昭和の社長。
結果、僕はやめてません。
あれ?なんの記事かいてたっけ?
あの日の夜のコトを思い出していたら、今でもココで働いてる理由がわからなくなる(笑)
もう、僕の頭のなかで「あわねぇ〜〜」と直感的に思いました。
パートナーシップっていうのは、やっぱりその違いが大きいほど新しいものを生み出していくと思うんです。
でも、それがファミリーになっちゃうと!!!
悲劇のショータイム♬にもなります。
悲劇のショータイムの後は喜劇が待ってるので、よほど追い詰められていないなら、もう少し粘ってみてね☆
予告
日々の葛藤をどうやってマネージャーであり、義息子の僕は乗り越えたのか?
で、どうやってハッピーエンドに??
次回お楽しみに!
続く
☆ 昭和の漫画みたいにこの、家族(同族)経営については、引っ張りまくって記事を書いていきます。ちょこちょこ楽しんで貰えれば幸いです。
でも、本気で相談したい方はご連絡くださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました♬